なつのまぼろし

 大変に唐突なのだけれど、僕の恋人が鳥になった。
 鳥は鳥でも、よりによってペンギンになった。

 僕の恋人、シミちゃんはお医者様だった。朝早く出かけて夜遅く帰ってきたり、
帰って来なかったりした。会ったり会わなかったりだったけど、それでも同じ家の
中にシミちゃんの気配はいつもあった。そして、今日もあった。


 明日から、僕はしばらく休みを取っていた。シミちゃんも休みだった。遅れてき
た夏休み。せっかくだから出掛けよう、という話になった。
 シミちゃんは海に行きたがったけれど、こんな時期もうクラゲだらけで泳げやし
ない、海の家も無いよという僕の意見で、行き先は海の近くの温泉になりつつあっ
た、と思う。
 随分前の話だ。珍しく2人が揃った夜で、リビングで晩酌しながら寝てしまった
のだ。起きたらシミちゃんはもう居なかった。


 休み前のハイテンションで、お菓子を買い込んだ。ついでに壊れかけていた安サ
ンダルを新調して、シミちゃんの分も買ってあげた。


 両手いっぱいに浮かれた荷物を持って帰宅すると、キッチンテーブルで融けたア
イスを発見した。飲みかけのビールもある。風呂場からシャワーの音がする。
 さてはシミちゃんも浮かれてるんだな、良い歳して。
 僕はニヤニヤしながら風呂場へ向かい、

「シミちゃん、ただいま」

 湯気で曇る扉を開けた。


 シミちゃんはどうやら、オウサマペンギンになってしまったらしい。
 頭と胸の黄色い模様が愛らしい、オウサマペンギン。

 僕だって初めからこのペンギンがシミちゃんだと思ったわけじゃない。シミちゃ
ん流のジョークだと思って、家中を探した。
 下駄箱をひっくり返している僕を、ペンギンは不思議そうに見つめていた。


 ケータイも財布も靴もある。
 どうやらシミちゃんは、僕に愛想を尽かして出ていったわけではないらしい。
 途方に暮れる僕を尻目にペンギンはヨチヨチと室内を歩き、あちらこちらをつつ
いて回る。

「シミちゃん?」

 呼びかけるとピタリと立ち止まった。
 ジッとこちらを見ている。

「シミちゃん」

 しばし固まっていたペンギンは、それから可愛らしく小首を傾げた。
 シミちゃんなんだろうか。シミちゃんはこんなかわいいことしなかったけれど。

 冷蔵庫にあった魚の切り身をあげると、シミちゃん、らしいペンギンは、それを
ペロリとたいらげた。どうやらお気に召したらしい。
 お魚がどこから出てくるのかを学んだシミちゃんは、ずっとキッチンに陣取って
いる。賢い。やっぱりシミちゃんなのかもしれない。

「もう無いよ」

 冷蔵庫の扉を見つめるシミちゃんに声をかける。

「お魚は買ってこないともう無いです」

 僕が大人げない感じで繰り返すと、シミちゃんはこっちにチラッと視線をくれて、

それから部屋を出ていった。
 やれやれ、と息をついたのも束の間、僕は慌てて立ち上がった。
 シミちゃんはどこに行くつもりなのか。こんな閑静な住宅地でペンギンがヨチヨ
チ出歩いていたら、ワイドショーご出演沙汰だ。それは勘弁してもらいたい。

 玄関まで行って施錠されているのを確認してから、シミちゃんを探した。

 シミちゃんはお風呂にいた。器用にもドアを開け、飛び込んだバスタブでプカプ
カ浮いていた。
バスタブには水がたまっていた。シミちゃんが好きな水風呂だ。夏になると長々水
風呂に浸かって、本を読んだり音楽を聴いたりお酒を呑んだりしていた。風呂から
上がると、キンキンに冷えた身体とふやけた指で僕を抱き締めてくれた。きっと今
日もそういうつもりだったんだと思う。

 シミちゃん。
 明日から夏休みなのに。

 たっぷりと水の張られた小さな風呂で、シミちゃんは満足そうにクルクルと回っ
ていた。



 バイトのない日は昼までぐうたら寝るのがお決まりだった。日が上りきった頃に
起きてきて、誰かさんがとっちらかした洗濯物を片付けて、ご飯を食べて、買い物
に行って、夕飯の支度をして、帰ってくるかわからない恋人を待ったり待ちわびて
寝てしまったりで一日が終わる。

 今日も目が覚めるまではそのつもりだった。
 意識が浮上して、連休だと気付いた。それから何かを叩くような音にも気付いた。
気付かなきゃ良かった。


 飛び起きて音のする方へ向かうと、ペンギンがいた。最悪だと思った。ごめんね
シミちゃん、最悪とか言って。でも最悪です。

 相変わらずペンギンのままのシミちゃんは、クチバシでカツカツカツカツと冷蔵
庫をノックしていた。悲しい目覚まし。

「シミちゃん、やめて」

 声をかけると、やはり賢いシミちゃんペンギンはすぐにノックをやめてこちらを
見た。
 見つめあう僕たち。遠くからセミの声がする。

 どう考えても、空腹のアピールだった。

 僕だって恋人を餓死させたくはない。たとえそれがペンギンでも。

 僕は財布をひっ掴むと、最寄りのスーパーへ鮮魚を求めて走った。鍵をかけるの
は忘れなかった。
 まだ夏の残る9月の青空が酷く憎たらしかった。

 シミちゃんは大人しいペンギンだった。
 ご飯を要求するとき以外は静かに部屋を散策したり、佇んだりして、後は大体お
風呂に浮いていた。

 僕は愚かにもインターネットで人間がペンギンになった症例が無いかを調べた。
 もちろんあるわけが無いのである。検索結果0件の表示を見て、自分の馬鹿さ加
減を呪った。

 お医者様に見せるにしたって、何科に行ったらいいのだろう。そもそも人間の病
院でいいのだろうか。獣医に見せるべきなんだろうか。
 大体シミちゃん本人がお医者様なんだから、自力で何とか出来ないもんなんだろ
うか。
 そう思いながらペラペラ一枚羽のシミちゃんのお手てを見て我に返った。こんな
お手てじゃカルテも捲れない。シミちゃんの長くてきれいな指は失われてしまった
のだ。

 例え病院に見せに行ったとして、僕のほうが精神科送りになるのは目に見えてい
た。シミちゃんは保健所かどっかに連れて行かれてしまう。そんなのは困る。しか
し恋人がペンギンなのも困る。八方塞がりだ。


 大概僕も疲れてきていた。
 シミちゃんのご飯を買いに出る以外は、いつもよりかなり冷やした部屋で訳の解
らない事態にひとりで向き合っているわけなのだから。




 絶望が色濃くなったのは3日目の晩だ。
 シミちゃんの携帯電話に着信があったのだ。
 これまで何度かメールは入ったようだったが、着信はこのときが初めてだった。
しかも何度も。
 きっと同僚の方だ。
 緊急だったらマズイかな、と思って代わりに出ようとした瞬間に気付く。

 シミちゃんは職場で僕のことを話しているだろうか。少なくとも僕は自分の職場
でシミちゃんの話をしていない。とりあえず友人です、とかで乗り切ったところで、
次にこの事態をどう説明したら良いのだろう。説明したって理解してもらえないだ
ろう。もし都合よく納得してもらったとして、その後はどうなるんだろう。きっと
病院か、警察か、どこか遠くの凄ーい偉ーい研究所かを紹介される。もしくは無理
矢理連れて行かれる。
 それどころか、話しても納得してもらえず、僕がシミちゃんをどうにかしちゃっ
たと思われたら。

 結局どうしたって僕とシミちゃんは離ればなれだ。


 ひとつの希望も見出だせず凍りついている間に着信音は止んだ。

 僕は立ちすくんでいた。
 そしていろんなことを考えた。
 僕が家出同然でここへ転がり込んできたこと。ここの他には気軽に帰れる場所も、
頼れる人もいないこと。シミちゃんのことを何も知らないこと。シミちゃんのお父
さんもお母さんもご実家の場所も、お友達のことも、何もかも知らなかった。僕は
今までシミちゃんに養われていた。自分で稼ぐことはちゃんとしていたけれど、さ
すがに家賃や光熱費を全部は払えなかった。シミちゃんはイヤミの一つも言わずに
僕を住まわせてくれていた。
 シミちゃんがこのまま元に戻らなかったら、どうしたら良いんだろう。
 まさかペンギンのシミちゃんを置いていくわけにもいかない。荷物一つとシミち
ゃんを抱えて一人と一匹で夜逃げするしかない。とんだ愛の逃避行だ。どこかの町
の安アパートは動物OKだろうか。ペンギンはダメだろうか。シミちゃんはよく食
べる。食費もかかる。安アパートって、クーラー無いんじゃないだろうか。


 どうしよう。


 どうしようもない。
 どうしようも無さすぎて、僕は床にへたりこんだ。
 なにこれ。どうしよう。

 だらりと下げた手の中で、シミちゃんの携帯電話がまた鳴った。お風呂から出た
シミちゃんが、電話を興味深そうにつついた。シミちゃんは実に利発だ。




 僕の連休は終わってしまった。シミちゃんはまだ夏休みだと油断しているのか、
一向に人間に戻る気配がない。

 言って解るものかはともかく、バイトの朝、僕はシミちゃんにお留守番を頼んだ。

「僕、夕方には帰るから。エアコンつけたままで行くからね。お風呂に水張ってあ
るから。ご飯もお風呂に置いといたから。冷蔵庫ツンツンしちゃダメだよ。誰か来
ても鍵……は開けられないだろうけど、騒いじゃダメだよ。」

 いいこにしててね、なんて前だったら絶対に言わないようなことを口にして、嬉
しいやら悲しいやら、たぶんものすごく切ない気持ちになった。
 けれどシミちゃんは何を気にするでもなく、解ってんだか解ってないんだか、風
呂場に直行した。行ってらっしゃいくらいあってもいいじゃない。
 玄関に並んだお揃いのサンダルが酷く虚しかった。


 雷雨の中帰宅した僕を悲劇が待っていた。


 夕立でビタビタに濡れて帰ると、玄関でシミちゃんがお出迎えしてくれた。感激
した僕はシミちゃんを抱きしめようと一歩踏み出して、そして気付いた。
 なんか臭い。
 シミちゃんが臭いのかと思ったけれど、どうも違うらしい。臭いは部屋の奥から
漂ってきている。生臭いような、すえたような、なんともいえない臭い。
 僕は濡れた服もそのままに慌てて部屋へ上がった。

 異臭の原因は一目瞭然だった。
 そこら中に転がったシミちゃんのご飯――つまりお魚の食べ残しと、シミちゃん
の落とし物。散らかった部屋。
 玄関から着いてきたシミちゃんが愕然とする僕をペタペタ歩きで追い抜いていっ
た。
 シミちゃんは大人しいからと部屋に放していったのが大失敗だった。
 薄暗い部屋を雷が照らした。
 惨状がクッキリと浮かび上がる。すると、離れて魚をつついていたシミちゃんが
ビクリと身体をすくませ、バタバタと落ち着かなく歩き回りだした。

 どうやら僕の長い不在と雷に驚いての犯行だったらしい。
 やるせなさが全身を巡り、仕方無いと思いつつも怒りは堪えられなかった。
 カッとなった僕はシミちゃんを抱えると、風呂場に連れていきそこへ閉じ込めた。
椅子や洗濯カゴで扉を開かなくする。
 プラスチック製の扉からは、カツンカツンとシミちゃんがノックする音が聞こえ
た。ぼやけた黒いシルエットは、どこからどう見てもペンギンだった。

 グチャグチャになった部屋のエアコンを止め、電気をつけた。
 窓を開けて臭いを逃がす。
 外からは夕立でぬるんだ空気が流れ込んできた。夏の終わりのにおいがした。

 片付けをしながら考えた。
 いつかシミちゃんが元に戻るなんて考えが甘かったのだと。大人しいし最悪一緒
に逃避行すればいいなんて無茶だった。何だかんだシミちゃんはペンギンなのだ。
人間ではない。良いことと悪いことの区別がつく、立派な大人のシミちゃんはもう
いないのだ。
 今のシミちゃんは、僕の太腿くらいまでしか背のない、足の短い、キレイな指を
失ったペンギンなのだ。聞き分けのない子供のように、気ままに生きている飛べな
い鳥なのだ。以前持ち合わせていた気遣いやユーモア、万事に対する匙加減なんて
いう文明はすべて無くしてしまったのだ。

 いっそ鳥なら飛べる鳥になって、どこかへ飛んでいってくれたほうが良かった。
ペンギンなんて、エサも環境も手間ばかりかかる飛べない鳥ではなく。自由に飛べ
る鳥なら、窓を開け放ってシミちゃんの好きにさせたらいい。どこかへ好きに飛ん
でいって、好きな場所に巣を作り、素敵なつがいを見つけ、ピーチクパーチク子孫
繁栄したらいいのだ。どこか遠い僕の知らないところで。

 吹き込んだ風に我に返る。シミちゃんがいなくなればいいなんて、そんな。
 顔を上げると、1人では広すぎる部屋が広がっていた。生臭い。シミちゃんが買
ってくれたゲームにも、シミちゃんのうんちがついていた。我慢していた涙が、つ
いにポタリと床に落ちた。
 いつかシミちゃんも僕も歳をとって、それでもそのときまで一緒にいられたら、
シミちゃんに介護が必要になったら、僕は必ず下の世話もすると、ぼんやりながら
そう心に決めていたのに。いざこんな形で現実になったら、僕は怒るばっかりで、
愛の名の元に笑って許すこともできない。
 シミちゃん。
 僕はシミちゃんがすきだった。
 落ち着いた声も、長い指も、ちょっと意地悪なところも、ただっ広い器も、何も
かも。酔っ払ってどうしようもないところだって、お風呂で寝てしまうところだっ
て、トイレに長居するところだって、何もかもがだいすきだった。

 神さまは僕を試しているんだろうか。
 カツンカツンとシミちゃんがドアを叩いて僕を呼ぶ。シミちゃんのうんちを擦る。
拭き取った側から涙が落ちてまた濡れていく。
 シミちゃん。
 シミちゃん。
 僕は大きくしゃくりあげ続けながら、うんちを拭いた。シミちゃんがくれたゲー
ムを、涙の水分でピカピカに磨きあげた。

 泣きすぎてカラカラになった僕の中には、もうなんの力も残っていなかった。
 見渡す限り美しく掃除された部屋をトボトボと後にする。
 気付けばシミちゃんのカツンカツンも止んでいた。

 明日、まだ夜の明けないうちにこの家を出よう。
 シミちゃんとは、近くの大きな川でお別れしよう。
 きっと誰かがシミちゃんをみつけて、ワイドショーでとりあげられて、優しい専
門家が安全なところへ連れていってくれるだろう。あそこの川はキレイだし、魚も
いっぱいいる。釣り人もいるから、きっとすぐにシミちゃんを見つけてくれる。

 シミちゃんごめんなさい。
 ごめんなさい。
 ごめんなさい。
 どうか僕を許してください。

 静まりかえった風呂場を横目に寝室へ向かう。ひとりには広すぎるベッドのうえ
で、僕は力尽きるように眠りに落ちた。

 夢の中で、シミちゃんのクシャミを聞いた気がした。記憶のなかのそれと同じ豪
快な一発に、僕はケラケラと笑った。


 バタン、ガタンという大きな音が夜明けの静寂をぶち壊した。僕は強制的に現実
に呼び戻された。ズキズキと痛む頭が回り始める前に、部屋のドアが凄まじい音を
たてて開いた。

「寒い!」

 飛び上がって振り返った僕の前にいたのは、バスタオル一枚でガタガタ震える、
人間の、シミちゃんだった。


 唖然としている僕をよそに、シミちゃんは文句を言いながら近づいてくる。

 なんで起こしてくれないんだよ、9月に水風呂はもう限界だよ、なんでお前ドア
の前に椅子とか置くの。俺温泉で良いって言ったじゃん。何か不満なの。

「そういうの口で言ってよ」

 シミちゃんはプリプリ怒りながら、おお寒い、と僕に抱きついた。キンキンに冷
えた大柄な身体が、寝起きでジンジンしている僕を包んだ。冷たい。

「冷たい」
「そうだよ、風邪ひいたらどうするんだよ。夏休みパァだよ」

 シミちゃん。

「シミちゃん」
「なに」
「シミちゃん」

 冷たいシミちゃんに抱き締められたまま、僕は昨日の比じゃないくらいわんわん
泣いた。驚いたシミちゃんは僕の熱を計り、脈拍を確かめ、目蓋の裏を覗き込んで、
おなかを触診した。扁桃腺の腫れも確認された。身体のどこにも異変は無いのにそ
れでも泣き止まない僕に対して散々温泉以外の希望を訊き、欲しいものを尋ね、挙
げ句の果てに女の子と浮気したことを自白した。僕はシミちゃんを一発殴った。
 それからシミちゃんに抱きついた僕は更に泣き続け、最終的にお隣から苦情がき
て泣くのをやめた。そういえばまだ明け方だった。爽やかな9月の朝だった。


 その日のお昼に、シミちゃんと僕は海へ出かけた。電車を何度か乗り継げば着く、
近くの小さな海だ。
 夕陽がキラキラ反射する波間にサーファーたちが漂っていた。
 新品のサンダルを存分に汚して砂遊びするシミちゃんを見て、僕はこの人が好き
だなあと思った。

 END


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家出したペンギンが無事に見つかったそうで良かったです。

ひとりは寂しいもんね。

昨年の夏に練り始めたのですが、9月がすごい勢いで通り過ぎて、

夏の終わりの海に実際には行けませんでした。

冬の夜にようやく行きました。

書き始めたらペンギンが脱走して、

UPしようとしたらペンギンが発見されました。

なんだかよくわかりませんが、久々に書きました。

うーん。いまNHKSP見てます。うーん。

同じところをぐるぐる回る

minimo-x 12.04.— flower of life

吹きだまりの愛

minimo-x 12.04.— campus

from here to heaven.

minimo-x 12.02.23 shiotsu

祭り

minimo-x 12.02.21 otengu-san

雪が降った次の日のわたしのおうちの屋根の上

雪が降った次の日のわたしのおうちの屋根の上

"

忘れもしない今年の5月18日。 武蔵野赤十字病院、循環器科の医師から次のような宣告を受けた。 「膵臓ガン末期、骨の随所に転移あり。余命長くて半年」 妻と二人で聞いた。二人の腕だけでは受け止められないほど、唐突で理不尽な運命だった。 普段から心底思ってはいた。 「いつ死んでも仕方ない」 とはいえあまりに突然だった。

確かに兆候はあったと言えるかもしれない。その2~3ヶ月前から背中の各所、脚の付け根などに強い痛みを感じ、右脚には力が入らなくなり、歩行にも大きく困難を生じ、鍼灸師やカイロプラクティックなどに通っていたのだが、改善されることはなく、MRIやPET-CTなどの精密機器で検査した結果、いきなりの余命宣告となった次第である。 気がつけば死がすぐ背後にいたようなもので、私にはどうにも手の打ちようもなかったのだ。

宣告の後、生き延びるための方法を妻と模索してきた。それこそ必死だ。 頼もしい友人や強力この上ない方の支援も得てきた。抗ガン剤は拒否し、世間一般とは少々異なる世界観を信じて生きようとした。「普通」を拒否するあたりが私らしくていいような気がした。どうせいつだって多数派に身の置き所なんかなかったように思う。医療についてだって同じだ。現代医療の主流派の裏にどんなカラクリがあるのかもあれこれ思い知った。 「自分の選んだ世界観で生き延びてやろうじゃないか!」 しかし。気力だけではままならないのは作品制作とご同様。 病状は確実に進行する日々だった。

一方私だって一社会人として世間一般の世界観も、半分くらいは受け入れて生きている。ちゃんと税金だって払ってるんだから。立派には縁遠いが歴とした日本社会のフルメンバーの1人だ。 だから生き延びるための私的世界観の準備とは別に、 「ちゃんと死ぬための用意」 にも手を回してきたつもりだ。全然ちゃんと出来なかったけど。 その一つが、信頼のおける二人の友人に協力してもらい、今 敏の持つ儚いとはいえ著作権などの管理を任せる会社を作ること。 もう一つは、たくさんはないが財産を円滑に家内に譲り渡せるように遺言書を作ることだった。無論遺産争いがこじれるようなことはないが、この世に残る妻の不安を一つでも取り除いてやりたいし、それがちょいと向こうに旅立つ私の安心に繋がるというもの。

手続きにまつわる、私や家内の苦手な事務処理や、下調べなどは素晴らしき友人の手によってスピーディに進めてもらった。 後日、肺炎による危篤状態の中で、朦朧としつつ遺言書に最後のサインをしたときは、とりあえず、これで死ぬのも仕方ないと思ったくらいだった。 「はぁ…やっと死ねる」 なにしろ、その二日前に救急で武蔵野赤十字に運ばれ、一日おいてまた救急で同じ病院へ運ばれた。さすがにここで入院して細かい検査となったわけだ。結果は肺炎の併発、胸水も相当溜まっている。医師にはっきり聞いたところ、答えは大変事務的で、ある意味ありがたかった。 「持って…一日二日……これを越えても今月いっぱいくらいでしょう」 聞きながら「天気予報みたいだな」と思ったが事態は切迫していた。 それが7月7日のこと。なかなか過酷な七夕だったことだよ。

ということで早速腹はきまった。 私は自宅で死にたい。 周囲の人間に対して最後の大迷惑になるかもしれないが、なんとしてでも自宅へ脱出する方法をあたってもらった。 妻の頑張りと、病院のあきらめたかのような態度でありつつも実は実に助かる協力、外部医院の甚大な支援、そして多くの天恵としか思えぬ偶然の数々。 あんなに上手く偶然や必然が隙間なくはまった様が現実にあるとは信じられないくらいだ。「東京ゴッドファーザーズ」じゃあるまいし。

妻が脱出の段取りに走り回る一方、私はと言えば、医師に対して「半日でも一日でも家にいられればまだ出来ることがあるんです!」と訴えた後は、陰気な病室で一人死を待ち受けていた。 寂しくはあったが考えていたのはこんなこと。 「死ぬってのも悪くないかもな」 理由が特にあるわけもなく、そうとでも思わないといられなかったのかもしれないが、気持ちは自分でもびっくりするほど穏やかだった。 ただ、一つだけどうしても気に入らない。 「この場所で死ぬのだけは嫌だなぁ…」 と、見ると壁のカレンダーから何か動き出して部屋に広がり始めるし。 「やれやれ…カレンダーから行列とはな。私の幻覚はちっとも個性的じゃないなぁ」 こんな時だって職業意識が働くものだと微笑ましく感じたが、全くこの時が一番死の世界に近寄っていたのかもしれない。本当に死を間近に感じた。 死の世界とシーツにくるまれながら、多くの人の尽力のおかげで奇跡的に武蔵野赤十字を脱出して、自宅に辿り付いた。 死ぬのもツライよ。 断っておくが、別に武蔵野赤十字への批判や嫌悪はないので、誤解なきよう。 ただ、私は自分の家に帰りたかっただけなのだ。 私が暮らしているあの家へ。

少しばかり驚いたのは、自宅の茶の間に運びこまれるとき、臨死体験でおなじみの「高所から自分が部屋に運ばれる姿を見る」なんていうオマケがついたことだった。 自分と自分を含む風景を、地上数メートルくらいからだろうか、ワイド気味のレンズで真俯瞰で見ていた。部屋中央のベッドの四角がやけに大きく印象的で、シーツにくるまれた自分がその四角に下ろされる。あんまり丁寧な感じじゃなかったが、文句は言うまい。

さて、あとは自宅で死を待つばかりのはずだった。 ところが。 肺炎の山を難なく越えてしまったらしい。 ありゃ? ある意味、こう思った。 「死にそびれたか(笑)」 その後、死のことしか考えられなかった私は一度たしかに死んだように思う。朦朧とした意識の奥の方で「reborn」という言葉が何度か揺れた。 不思議なことに、その翌日再び気力が再起動した。 妻を始め、見舞いに来て気力を分け与えてくれた方々、応援してくれた友人、医師や看護師、ケアマネージャなど携わってくれている人すべてのおかげだと思う。本当に素直に心の底から。

生きる気力が再起動したからには、ぼんやりしているわけにはいかない。 エクストラで与えられたような命だと肝に命じて、大事に使わねばならない。 そこで現世に残した不義理を一つでも減らしたいと思った。 実はガンのことはごくごく身の回りの人間にしか伝えていなかった。両親にも知らせていなかったくらいだ。特に仕事上においては色々なしがらみがあり、言うに言えなかった。 インターネット上でガンの宣言をして、残りの人生を日々報告したい気持ちもあったのだが、今 敏の死が予定されることは、小さいとはいえ諸々影響が懸念されると思えたし、それがゆえに身近な知り合いにも不義理を重ねてしまっていた。まことに申し訳ない。

死ぬ前にせめて一度会って、一言でも挨拶したい人はたくさんいる。 家族や親戚、古くは小中学校からの友人や高校の同級生、大学で知り合った仲間、漫画の世界で出会い多くの刺激を交換した人たち、アニメの世界で机を並べ、一緒に酒を飲み、同じ作品で腕前を刺激しあい、楽しみも苦しみも分け合った多くの仲間たち、監督という立場のおかげで知り会えた数知れないほどたくさんの人びと、日本のみならず世界各地でファンだといってくれる人たちにも出会うことが出来た。ウェブを通じて知り合った友人もいる。

出来れば一目会いたい人はたくさんいるが(会いたくないのもいるけれど)、会えば「この人ともう会えなくなるんだな」という思いばかりが溜まっていきそうで、上手く死を迎えられなくなってしまいそうな気がした。回復されたとはいえ私に残る気力はわずかで、会うにはよほどの覚悟がいる。会いたい人ほど会うのがつらい。皮肉な話だ。 それに、骨への転移への影響で下半身が麻痺してほぼ寝たきりになり、痩せ細った姿を見られたくもなかった。多くの知り合いの中で元気な頃の今 敏を覚えていて欲しいと思った。 病状を知らせなかった親戚、あらゆる友人、すべての知人の皆さん、この場を借りて不義理をお詫びします。でも、今 敏のわがままも理解してやっていただきたい。 だって、「そういうやつ」だったでしょ、今 敏って。 顔を思い出せば、いい思い出と笑顔が思い起こされます。 みんな、本当にいい思い出をたくさんありがとう。 自分の生きた世界を愛している。 そう思えることそのものが幸せだ。

私の人生で出会った少なからぬ人たちは、肯定的否定的どちらであっても、やっぱり今 敏という人間の形成にはどこか必要だっただろうし、全ての出会いに感謝している。その結果が四十代半ばの早い死であったとしても、これはこれとして他ならぬ私の運命と受け止めている。いい思いだって随分させてもらったのだ。 いま死について思うのはこういうこと。 「残念としかいいようがないな」 本当に。

しかし、多くの不義理は仕方ないと諦めるにせよ、私がどうしても気に病んで仕方なかったことがある。 両親とマッドハウス丸山さんだ。 今 敏の本当の親と、アニメ監督の親。 遅くなったとはいえ、洗いざらい本当のことを告げる以外にない。 許しを乞いたいような気持ちだった。

自宅に見舞いに来てくれた丸山さんの顔を見た途端、流れ出る涙と情けない気持ちが止めどなかった。 「すいません、こんな姿になってしまいました…」 丸山さんは何も言わず、顔を振り両手を握ってくれた。 感謝の気持ちでいっぱいになった。 怒涛のように、この人と仕事が出来たことへの感謝なんて言葉ではいえないほどの歓喜が押し寄せた。大袈裟な表現に聞こえるかもしれないが、そうとしか言いようがない。 勝手かもしれないが一挙に赦された思いがした。

一番の心残りは映画「夢みる機械」のことだ。 映画そのものも勿論、参加してくれているスタッフのことも気がかりで仕方ない。だって、下手をすればこれまでに血道をあげて描いて来たカットたちが誰の目にも触れない可能性が十分以上にあるのだ。 何せ今 敏が原作、脚本、キャラクターと世界観設定、絵コンテ、音楽イメージ…ありとあらゆるイメージソースを抱え込んでいるのだ。 もちろん、作画監督、美術監督はじめ、多くのスタッフと共有していることもたくさんあるが、基本的には今 敏でなければ分からない、作れないことばかりの内容だ。そう仕向けたのは私の責任と言われればそれまでだが、私の方から世界観を共有するために少なからぬ努力はして来たつもりだ。だが、こうとなっては不徳のいたすところだけが骨に響いて軋んだ痛みを上げる。 スタッフのみんなにはまことに申し訳ないと思う。 けれど少しは理解もしてやって欲しい。 だって、今 敏って「そういうやつ」で、だからこそ多少なりとも他とはちょっと違うヘンナモノを凝縮したアニメを作り得てきたとも言えるんだから。 かなり傲慢な物言いかもしれないが、ガンに免じて許してやってくれ。

私も漫然と死を待っていたわけでなく、今 敏亡き後も何とか作品が存続するべく、ない頭を捻って来た。しかしそれも浅知恵。 丸山さんに「夢みる機械」の懸念を伝えると、 「大丈夫。なんとでもするから心配ない」 とのこと。 泣けた。 もう号泣。 これまでの映画制作においても予算においても不義理ばかり重ねて来て、でも結局はいつだって丸山さんに何とかしてもらって来た。 今回も同じだ。私も進歩がない。 丸山さんとはたっぷり話をする時間が持てた。おかげで、今 敏の才能や技術がいまの業界においてかなり貴重なものであることを少しだけ実感させてもらった。 才能が惜しい。何とかおいていってもらいたい。 何しろザ・マッドハウス丸山さんが仰るのだから多少の自信を土産に冥途に行けるというものだ。 確かに他人に言われるまでもなく、変な発想や細かい描写の技術がこのまま失われるのは単純に勿体ないと思うが、いた仕方ない。 それらを世間に出す機会を与えてくれた丸山さんには心から感謝している。本当ににありがとうございました。 今 敏はアニメーション監督としても幸せ者でした。

両親に告げるのは本当に切なかった。 本当なら、まだ身体の自由がきくうちに札幌に住む両親にガンの報告に行くつもりだったが、病気の進行は悔しいほど韋駄天で、結局、死に一番近づいた病室から唐突極まりない電話をすることになってしまった。 「オレ、膵臓ガン末期でもうすぐ死ぬから。お父さんとお母さんの子供に生まれて来て本当に良かった。ありがとう」 突然聞かされた方は溜まったものではないだろうが、何せその時はもう死ぬという予感に包まれていたのだ。

それが自宅に帰り、肺炎の危篤を何とか越えて来た頃。 一大決心をして親に会うことにした。 両親だって会いたがっていた。 しかし会えば辛いし、会う気力もなかったのだが、どうしても一目親の顔を見たくなった。直接、この世に産んでもらった感謝を伝えたかった。 私は本当に幸せだった。 ちょっと他の人より生き急いでしまったのは、妻にも両親にも、私が好きな人たちみんなに申し訳ないけれど。 私のわがままにすぐ対応してくれて、翌日には札幌から両親が自宅についた。 寝たきりとなった私を一目見るなり母が言った言葉が忘れられない。 「ごめんねぇ!丈夫に産んでやれなくて!」 何も言えなかった。

両親とは短い間しか過ごさなかったが、それで十分だった。 顔を見れば、それですべてわかるような気がしたし、実際そうだった。

ありがとう、お父さん、お母さん。 二人の間の子供としてこの世に生を受けたことが何よりの幸せでした。 数えきれないほどの思い出と感謝で胸がいっぱいになります。 幸せそのものも大事だけれど、幸せを感じる力を育ててもらったことに感謝してもしきれません。 本当にありがとうございました。

親に先立つのはあまりに親不孝だが、この十数年の間、アニメーション監督として自分の好きに腕を振るい、目標を達成し、評価もそれなりに得た。あまり売れなかったのはちょいと残念だが、分相応だと思っている。 特にこの十数年、他人の何倍かの密度で生きていたように思うし、両親も私の胸のうちを分かってくれていたことだろう。

両親と丸山さんに直接話が出来たことで、肩の荷が下りたように思う。

最後に、誰よりも気がかりで、けれど最後まで頼りになってくれた妻へ。 あの余命宣告以来何度も二人で涙にくれた。お互い、身体的にも精神的にも過酷な毎日だった。言葉にすることなんて出来ないくらい。 でも、そんなしんどくも切ない日々を何とか越えて来られたのは、あの宣告後すぐに言ってくれた力強い言葉のおかげだと私は思っている。 「私、最後までちゃんと伴走するからね」 その言葉の通り、私の心配など追い越すかのように、怒濤のごとく押し寄せるあちらこちらからの要求や請求を交通整理し、亭主の介護を見よう見まねですぐに覚え、テキパキとこなす姿に私は感動を覚えた。 「私の妻はすごいぞ」 今さらながら言うな?って。いやいや、今まで思っていた以上なんだと実感した次第だ。 私が死んだ後も、きっと上手いこと今 敏を送り出してくれると信じている。 思い起こせば、結婚以来「仕事仕事」の毎日で、自宅でゆっくり出来る時間が出来たと思えばガンだった、ではあんまりだ。 けれど、仕事に没頭する人であること、そこに才能があることを間近にいてよく理解してくれていたね。私は幸せだったよ、本当に。 生きることについても死を迎えるにあたっても、どれほど感謝してもしきれない。ありがとう。

気がかりなことはもちろんまだまだあるが、数え上げればキリがない。物事にも終わりが必要だ。 最後に、今どきはなかなか受け入れてもらいにくいであろう、自宅での終末ケアを引き受けてくれた主治医のH先生、そしてその奥様で看護師のKさんに深い感謝の気持ちをお伝えしたい。 自宅という医療には不便きわまりない状況のなか、ガンの疼痛をあれやこれやの方法で粘り強く取り除いていただき、死というゴールまでの間を少しでも快適に過ごせるようご尽力いただき、どれほど助けられたことでしょう。 しかも、ただでさえ面倒くさく図体と態度の大きな患者に、単なる仕事の枠組みをはるかに越え、何より人間的に接していただいたことにどれほど私たち夫婦が支えられ、救われたか分かりません。先生方御夫婦のお人柄にも励まされることも多々ありました。 深く深く感謝いたしております。

そして、いよいよ最後になりますが、5月半ばに余命宣告を受けてすぐの頃から、公私に渡って尋常ではないほどの協力と尽力、精神的な支えにもなってくれた二人の友人。株式会社KON’STONEのメンバーでもある高校時代からの友人Tと、プロデューサーHに心からの感謝を送ります。 本当にありがとう。私の貧相なボキャブラリーから、適切な感謝の言葉を探すのも難しいほど、夫婦揃って世話になった。 2人がいなければ死はもっとつらい形で私や、そばで看取る家内を呑み込んでいたことでしょう。 何から何まで、本当に世話になった。 で。世話になりついでですまんのだが、死んだあとの送り出しまで、家内に協力してやってくれぬか。 そうすりゃ、私も安心してフライトに乗れる。 心から頼む。

さて、ここまで長々とこの文章におつき合いしてくれた皆さん、どうもありがとう。 世界中に存する善きものすべてに感謝したい気持ちと共に、筆をおくことにしよう。

じゃ、お先に。

今 敏

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あかるいほうへ

ちょっと前に『ヒミズ』観たー。

すんごい楽しみにしていたので、裏切られなくて最高だった。

3回くらい勝手に泣けてきておどろいたわん。

「立派な大人になる」って絶叫してるところでもう堰を切ったように泣いてもうた~

染谷二階堂コンビかわいすぎう。茶沢さんすきだなあ。

わたしは住田のような男の子をどうにか救ってあげたい気持ちでいっぱいでいるので、たまらん気持ちになってしもうた。秀一さんとおんなじだね。

原作も読めたらいいなあ。

こういうお話が好きでござる。

今年劇場で見たの両方園監督でござる。

pdl2h:

何これ凄い。画面上にある無数の四角のどれか一つをクリック。次に別の四角をクリック。1時間くらいこれで遊べそうな気がする。

(出典: mandaflewawaymegane4141から)

soil

ずっと埋めることについて考えをこねくりまわしてるんだけど、なかなかまとまらない。

男の子が穴ぼこにごめんなさいって言いながら何かを埋めてるんだけど、何を埋めてるんだろう。

手紙とか煙草とか鍵とか写真とかお花の種とか金魚とか女の子とか骨壷とかとにかくいろんなものを埋めている。ごめんなさいって言いながら。なにについてなにに対して謝ってるんだろう。ごめんなさい。

埋めるっていう行動がすきすぎてどうにかなっちゃいそう。

埋めちゃいたい。